ようやく初秋の乾いた心地よい風を感じるよになった10月初旬、ファミレスで待ち合わせたのはややふくよかで柔らかな表情が特徴的な桐子さん。
笑顔に人柄の良さがでている桐子さんは現在54歳。その笑顔を見ると幸せなご家庭が想像できるような気もしますが最近になって夫の不倫に気付き、全てが変わってしまったそうです。
どこからお話すればいいのか…と、やや緊張気味の桐子さんがゆっくりと話し始める声に耳を傾けます。
「息子が一人いるんですけど、大学進学で都会に行くとそのままそこで就職しちゃったんです。私はそれが結構ショックでした。家族三人とても仲が良かったんです。いや、良かったと思っていたんです。だから大学を出たら息子が帰ってきて、三人でまた楽しく暮らせるんだって思ってたから…息子に言われたんですよ、母さん、僕も自分の力でやってみたいんだ、ってね。そんなこと言わなくても嫌でも社会に出たら自分の力でやっていくんだから、知らない土地よりも自分の育った土地で自分の力を試してみればいいじゃない、って私は言ったんです」
一気に喋り終えると、息継ぎをするように肩を揺らして、グラスのストローに口をつけます。
「そういうんじゃないんだよ母さん。母さんも分かるでしょ。別に疎遠になる訳じゃないし、今までしてくれたことは凄く有り難かったし感謝してます。恵まれてたと思うんだ。だからこそ、一人で自分の力がどのくらいあるのか、自分で確かめてみたいんだ…そんな風に息子に言われて、泣きながら旦那に報告したんですよ」
夫の健次さんは二つ年上で地元では有名な製薬会社の工場長をしています。
優しく、いつも冷静で知識があり頼りになる夫だと桐子さんは言います。
泣いている桐子さんが落ち着くのを待ってから
「帰ってくると思ってたけどね。でも本人が自分の力を試したいって、そう思ってるってことは良いことだと思うんだ。本人のやりたいようにさせて、見守ってやろうよ」
健次さんに言われて、納得はしたものの、なかなか感情の整理ができずにいたそうです。
そんな桐子さんの様子を見ながら、健次さんはある提案をします。
「犬を飼ってみたら?って言うんですよ。元々私が犬好きなのを知ってるからですけど、やはり犬って与えてくれるものが大きい反面、失ったときの悲しさを考えたら…今までそう思って飼ったことがなかったんですけど」
そうしてずいぶん思い悩んだ結果、迎えたのが一歳になるオスの保護犬でした。
「ボーダーコリーみたいな雑種なんですけど、山奥で保護されて殺処分されるギリギリだったんです。そんな状況や私が初めて犬を飼おうって思ったタイミングを考えたら、この子とは出会う運命だったんじゃないかって、勝手に思ったんですよね」
フー、と名付けて可愛がったという桐子さん。
「長毛種の血が入っているんでモフモフなんですね。それでモフモフのフーって名付けて。フーはやんちゃですけど繊細なところがあって、私のことを見てないようでよく見てるんですね。様子を伺いながら落ち込んだ目で見つめてくる時があったから、ここはあなたのお家だからね、何も心配しなくていいんだよ、ってずっと言い聞かせてたんです。するといつもキョトンとした顔で私を見るんです。そんな仕草がとても可愛くて愛おしくて」
そして今まで勤めていたフルタイムのパートを辞めて、フーが寂しくないように午前中だけのパートに変えます。
散歩や餌やりはもちろん、ブラッシングや遊び相手なったり、桐子さんはフーに愛情を注ぎます。
健次さんも自宅に居ればフーの世話を手伝ってくれました。
「フーの世話は大変ですけど、張り合いのある生活が送れて幸せだって、そう思ってたんです」
そんな毎日に変化が訪れたきっかけ、それはフーのくしゃみでした。
「夫がたまに遅く帰ってくると、喜んで抱きつくんですけど、くしゃみをし始めて止まらない時があるんです。どうしたのかな?って話してると夫が、汗臭いのと加齢臭で最近消臭スプレーをするからそのせいかな、なんて言ってたんですけどね」
そんな夫に少しずつ、桐子さんは違和感を抱くようになります。
「別に何が怪しいって訳じゃなかったんです。身なりにも気を使う人だし、消臭スプレーをつけたからって不思議でもないですから。ふと気づいたのがスマホをたまに隠すようになったというか、それまでリビングの定位置に置いてあったのがたまに見当たらなくなって。でも毎日じゃなくて時々ですけど。あとスマホを弄る時間が増えたんです」
そのくらいの変化でわかるものなんですね。
「そりゃ分かりますよ。夫婦二人とフーしか居ないですからね。しかもウチは夫婦仲は悪くないんで、よくいるお互いに無関心な夫婦とは違いましたから」
自分の勘違いだと良かったんですけど、と話す桐子さん。
ある日、夫が入浴中にリビングの定位置に無いスマホを、スーツの上着に入っているのを見つけます。
「他の場所に置くと不自然だから、スーツの上着から出し忘れた、みたいに考えてたんでしょうね」
緊張しながらスマホを手に取るとロックが掛かっていました。
ロックを掛けてあるのを初めて知りましたが、ロックパターンをいくつかなぞっても解除されず、初日は諦めることにしました。
翌日からスーツに入れたままの時に何かあると思った桐子さんは引き続きロックを解除しようと奮闘します。
すると、ある日呆気なくロックを解除することに成功したそうです。
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