「車に乗り込んできたのは女でした。まだどこか、夫を信じていた想いは砕けて無くなりました。緊張しながら聞いていると他愛のない自然な会話を続ける二人が親密な関係なのだとわかりました。声の様子からは若くはない、おそらく同世代くらいの女だと思いました。車が動き出す音がすると、港の近くのところでいいか、と話していてその二十分後くらいに車を何処かの駐車場に入れるようなバックで下がる音がして停止させた後、二人で車を降りて行ったんです」
その後、健次さんと女性は三時間程して車に戻ってきました。
車を出すと、どうやら元の待ち合わせ場所に戻ってきたようでした。女性が車から降りる前、「今度は再来週くらいだよね」と確認し合う会話がありました。
「再来週ってはっきり聞こえて多分今回と同じ土曜日だと思いました。土曜日に怪しい動きをすることがありましたから。それで前々から頼もうか悩んでいた興信所に連絡をしたんです。実際に会ってどう証拠を押さえるか説明を聞いたり打ち合わせをして、再来週と言っていた土曜日に、追跡調査をすることに決めました。それで、奥様にも協力をお願いしたいと言われ、簡単ですから、とGPSを手渡されたんです。当日緊張しながらも無事に車にセットできたんですけど」
予想した通りゴルフバッグを持って出掛けた健次さんは、打ちっぱなしには行かず、隣の市の図書館の駐車場に着くと、先に停めてあった車から女性が出てきて健次さんの車に乗り込んだそうです。
その後、女性を乗せて動き出した車はモーテルの駐車場に入り、前回と同じ三時間経ってモーテルから出てきました。
「前回上手くいったんでレコーダーも仕掛けておいたんです。会っていたのはやはり同じ女でした。二人はまるでこれから買い物にでも出掛けるようなリラックスした会話で罪悪感の欠片も感じられませんでした。興信所からは調査報告書と写真を見せてもらいながら説明を受けました」
言い訳のできない証拠。
興信所から手渡された写真には、モーテルの駐車場に入り、三時間後車で出てきたところがしっかりと押さえられていました。
女性は後部座席に乗っていてよくわからなかったものの、最初に車に乗り込む瞬間をとらえた写真は、会えばわかるくらい鮮明に撮影できています。
「興信所にも安くはない金額を払って、証拠を掴んで準備は整いました。あとは私がどうするか、でした。夫に証拠を突き付けたらどういう態度に出るのか、まさか私と別れるって言うのか。それも本当のところわからないじゃないですか」
長年連れ添った健次さんが、遊びではなくまさか本気で不倫相手と…
健次さんとは数年前から完全にセックスレスになっていたこともあってそんな不安も払拭しきれずにいました。
「でも気付いたのは私の方が夫に依存してるんですね。経済的にも精神的にも。夫は私と別れたとしても収入はある、パートナーはいる、でも特に困ることは無いはずなんです。もちろん社会的信用を無くすことがあるでしょうけど。でも他人のことなんてそんなに気にもしないですからね、みんな」
だから、別れて困るのは私だけなんです。
虚しさが表情に滲み出る桐子さん。
「それにフーのことが心配でした。もし私が一人になったとしたら…今はフーを養っていくほど経済力が無いのでフルタイムで働くとしたら、長い時間留守番をさせると可哀想だしストレスで何があるかもわからないし。そんなことを考えていると余計に悔しさが湧いてきました。ケンカもほとんどしたことが無いし夫婦仲は悪くなかったんです。夫のことは尊敬もしていたし頼りにしていました。口煩く言ったことも無いし気持ち良く仕事ができるようにサポートしてきたつもりだったのに」
水の入ったグラスをぼんやり見つめる桐子さん。
すると思い出したように口を開いて
「私とフーの将来は心配だったけど、夫に言わずに今まで通りの生活を続けていけば、いつか私はおかしくなると思いました。それで夫に言うことに決めたんです。話し合いによっては、環境が大きく変わるかも知れなかったので息子には言っておいた方がいいと思いました」
すでに社会人になっていた息子さんに、全てを話してもよかったのですが、夫が不倫していることを話すのは気が引けたという桐子さん。原因は言わずに、離婚するかもしれないと伝えることにしました。
「離婚するかもしれないから、そうなる前に話しておこうかと思って。そう息子に伝えました。するとすぐに原因は何なの?と聞いてきたので、いろいろあるから、と言葉を濁すと、母さんが原因じゃないよね。多分親父の方でしょ?って」
はぐらかす桐子さんでしたが、執拗に問い詰める息子さんに観念し、本当の事を話したそうです。
「全てを話し終えると、やっぱりな、と言ったんです。息子曰く昔から親父はどこか信用できなかった。何か言っても反対の事しか言わないしずっと小馬鹿にするような態度をとられたから、あまり好きじゃないんだ、って。そんな風に夫の事を思っていたなんて驚きでした。初めて聞く息子の夫に対する思いでした。夫と息子はどちらも家ではベラベラ喋るタイプじゃなかったんで二人で話し込むところを見たことはないですけど、私より夫に似て同じような性格だから余計に嫌悪感があるのかも、なんて思いました」
すると息子さんは、俺が最初に話してもいい?と聞いてきたそうです。桐子さんより先に健次さんに不倫について聞いてみたいって。夫婦の離婚問題に成人した息子が間に入るっていうのも…あるような無いような情けないような気がしたんですけど本人がどうしても、って言うから、どう選択がいいのか決めかねていた桐子さんは、好きにしていいよ、って半ば自棄になって答えました。
「息子はあえて夫が不倫相手と会っていそうな時に電話するからと私にいつがいいか聞いてきました。そしてある土曜日、いつものように打ちっぱなしに行くと、夫は女に会うはずだと息子に伝えました。するといつもなら夕方に帰ってくる夫が、何ともいえない顔で昼過ぎに帰ってきたんです。そして驚いたことに私に向かって頭を下げたんです」
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