帰ってきた健次さんは苦痛に顔を歪めるような表情で桐子さんと向き合いました。
「私の顔を見て頭を下げたんです。夫が私の目の前でそんなことするのが現実とは思えなくて居心地が悪くなりましたけど、息子から電話があったことや、女性と会っていたのが分かって息子に問い詰められたことなどを正直に話してくれました。あまりの展開に呆気にとられた私に向かって、もう女性とは会わない、軽い気持ちで不倫して家族に嫌な思いをさせてしまった。どうか許して欲しい、夫がそんな風に詫びるなんて思いもしなくて聞いている私がドキドキしました。けど…」
桐子さんは自分の気持ちが落ち着くまでしばらく黙り込んだそうです。
そして苦しい表情でうつむく健次さんに、具体的に経緯を説明して欲しいと告げました。
健次さんによると、女性は行きつけのゴルフショップの店員とのことでした。年齢が近く話すうちに意気投合し一緒にコースを回ろうという話になったそうで、最初はゴルフをやるだけだったのがそのうち男女の関係になったといいます。それが1年ほど前のことで、いつまでも続けられないなと思いながら今日まできてしまった、とのことでした。
「相手はどんな人なのか、独身なのか既婚者なのか、子供はいるのか。夫の話だとバツイチ独身で、成人した息子と2人暮らしだって言うんですよ。だから独身のその女性から、将来一緒になりたいって言われたの？って聞いたら、そんな話はしたことがないって答えました」
家庭を壊すつもりもなく、桐子さんのことを大事に思っているし、魔が差して調子に乗ってしまった。もう不倫をするつもりはない。信じて欲しい、申し訳なかった。
健次さんはそう言って再び頭を下げたそうです。
そんな姿を見てしばらく私も考えさせてほしい、と桐子さんは混乱しながら一旦話を切り上げました。
「情けない話ですけどわからなくなったんです、自分の気持ちが。でも決まっていたというか夫がちゃんと謝罪してきて二度としないと言うなら、許して元の生活になるのが一番良いんだろうと思ってはいました。でも実際その時になってみたらそんな割り切れるもんじゃないです。じゃあどうするの？なんて答えるの？って自問自答しましたけど、心のモヤモヤが消えずに答える気になれなくて」
気持ちの整理がつかないまま、とりあえず息子さんに連絡した桐子さん。
息子さんには感謝の気持ちと健次さんが謝ってきたことを伝えました。
健次さんに何て言ったのか聞いてみると、
「そのやりとりは言わないでおくよ。親父の名誉のためにさ。まあ、俺と親父との間の話だから。あとは母さんと親父でよく話し合えばいいと思うよ。それと親父は本当に反省してたから、この先は大丈夫だと思うけど」
「息子にそう言われて、少し気が落ち着きました。ただ、ふと思ったのは仲が良い家族だって信じて疑わなかったのは私だけだって気が付いたんです。今まで三十年近くずっと夫も息子も私の理想に合わせてくれていたんじゃないかと気付いたんです。もちろん全部が全部そうだとは思いません。夫の優しさや愛情を感じていましたし、息子だって、表面上は夫と揉めることなんてなかったし、和気あいあいとまではいかなくても二人に会話はありましたから。男同士だしそんなベタベタしないもんだと思ってましたから」
数日後、夫と話してもう二度と不倫相手と会わないことを約束させました。あと、今まで夫にはある程度自由にお金を使わせていましたが、私が毎月管理することに同意させました。この先、また何があるかわからないので私の個人の口座にお金を少しずつ移動させておこうかと思っています…それに」
喋り疲れてたのか目の前のオレンジジュースを飲み干す桐子さん。
言葉を選ぶように再び話し始めます。
「今回、夫の不倫を知ってモーテルから2人が出てきた時の会話を聞いたり、写真を見たりしながら嫉妬心とは別に羨ましいと思えたんです。2人が性的な欲求を満たしている証拠を見せつけられたわけですから。それで今まで私も、もう性的なことからずいぶん遠ざかっていたし、そこまで欲求も無いしって思ってたのが今回の件で刺激を受けたというか。私も誰かに抱かれてみたい、って…そんな思いが時々沸いてくるようになって。今、抱かれたら私はどうなるんだろうって。そんなことがこれから先あったとしても、欲求を押さえられなかったとしてもそれでもいいよねって、そう思って夫を許すことにしました」
話し終え少し頬を赤くした艶っぽい表情を見せた桐子さん。
この先本当に、桐子さんが言うような機会が訪れる可能性は否定できません。
近年、SNSの普及によって誰でも手軽に不倫相手を見つけられるようになりました。
ある統計によれば50代の既婚女性が、夫以外にパートナーがいる割合は15％に上るそうです。
夫、妻に不満を抱え、耐えながら一生添い遂げることが美徳とされたのは、もはや遠い昔の話です。
時代が変わり、環境が変われば人はそれに適応し変わっていきます。
桐子さんと健次さんはこの先、どんな夫婦関係になるのでしょうか。
今度は桐子さんが秘密を抱える立場になるのかも知れません。
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