熟年離婚の危機を乗り越え、愛犬と共に再構築へと歩む夫婦 ③

「一時は辞めようかとも思ったよ。でも隠居するには早いしそこまでの蓄えは無いからね。でも転職となるとキャリアを生かした職種は年齢的な難しさがあるから、そうなると結局、我慢してこのまま続けるのが一番無難な選択だった」

現状を受け入れ、熱意を失ったままで仕事に取り組むフミオさん。そんなある日、現場で数年振りに同期と再会しました。

「今度ゆっくり話すか、ってことになってね、久し振りに飲みに行ったんだ」

昔よく通った繁華街は、しばらく来ない間にだいぶ様変わりしていました。

しばらく周りを物色して、昔からあるような古びた居酒屋を選んで飲み始めました。

「出向して付き合いも減って、年も取って遊ぶ仲間も減って、ゴルフや夜遊びもほとんどしなくなってたんだ。だから飲むのも久し振りだしヤツとサシで飲むのも思い出せないくらい昔のことだったんだ。それで昔話で盛り上がってると、若い頃お互いに世話になった特別管理職で所長まで務めた先輩の話になってね」

「覚えてるか、柴田さん」

そう言う同僚に、もちろん覚えてるよ、昔は仕事叩き込まれたもんなお互いに、と懐かく思い出していました。

「たまたま入ったコンビニでバッタリ会ったんだ、十日くらい前に。声掛けられてね。最初は誰だか分かんなくてさ、柴田だよ、って言ってくれてようやくわかったようなもんでさ」

「誰だか分かんない?どういうことだ?」

「ガタイの良い人だったろ、あの人。身長も百八十センチはあったもんな。それが別人のようにさ、縮んじゃって痩せちゃって、でもまあ歳もとっくに七十は過ぎてるし、会うのも二十年ぶりくらいだから、よく俺って分かりましたね、って言うと、名札ぶら下げてるから分かるさ、っていたずらっぽく笑った感じが昔と同じだったんだ、あぁ柴田さんだな、って思ったよ」

ハイボールの浮いた氷が崩れ、グラスの水滴が滴り落ちます。

フミオさんは話の続きを待ちました。

「昼飯買いに寄ったんだけど、柴田さんも昼飯買いにきたって言うから、じゃあ一緒にどうですかって近くの蕎麦屋に入ったんだ。それでまぁ、いろいろ話を聞いたんだけど、所長にまで上った人がさ、離婚して今は広い家に一人で住んでるらしいんだ」

離婚して、という言葉に少し戸惑ったフミオさんですが、それで、と話の続きを促します。

「なんでも定年してすぐ奥さんに離婚を切り出されてね。子供は娘と息子が居るけど、母親の味方みたいで、柴田さんとこに寄り付きもしないらしいんだ」

「なんでそうなったんだ?」

他人事とは思えず、理由を聞きました。

「理由は言わなかったし、俺も聞かなかった。昼休みに聞くには重過ぎるからな。なんとも言えない再会になったけど、飯食い終わってちょっと間があってさ、あ、柴田さん金無いんだなって分かったよ。昔は店員に財布預けて支払いを済ませる姿が格好良かったからさ、ちょっと様子見ちゃったけど、出させてくださいって勘定済ませたよ。柴田さんが前歩いてたんだけど、上着のポロシャツの襟がさ、遠目から目立つくらい茶色く汚れてたんだ。昔は同年代の誰よりも洒落てて隙がないくらいピシッっとしてたのにな。なのに今じゃあんな汚れたシャツ着てるんだなって」

フミオさんは昔の柴田さんの姿を思い出していました。

その教えはフミオさんの中に深く浸透していて、仕事だけではなく多くの影響を受けていました。

「熟年離婚ってなるとなあ、男は身の回りのことで困るからなぁ。お互い女房に捨てられないようにしないとな」

そう言って笑う同期に、グラスに口をつけ言葉を濁すフミオさんでした。

それからひとしきり喋った後、店を出て同期と別れました。

電車で自宅の最寄り駅に着くと、夜道を歩きながら奥さんとの関係について考えます。

「離婚したら、ってよりまず離婚したいのかどうかをね、俺はどっちでもいいやと思ってたよ。離婚したなら今の古いマンションから引っ越して、一人でどうにかやってみるか、ってそのくらいだよね。その時想像できたのは」

マンションに着いて二階の部屋までの階段を上っていると、犬の吠える声がかすかに聞こえた気がしました。

「ん?って思ってね。マンションはペット禁止だからさ。でも耳を凝らしてみると、同じ二階から聞こえててね、どうやらウチの二軒隣らしくて、飼い主が吠えてる犬を宥めるような声も聞こえるんだ。黙って飼ってんだろうから大胆な住人だなって思ったよ」

それから数日後の朝、出勤するフミオさんが見たのは、その住人が堂々と犬を引き連れて廊下を歩く姿でした。

住人はフミオさんよりは若そうな中年女性で、目が合うと軽く会釈した後、犬と共に堂々と自分の部屋へと戻っていきました。

「下に降りると管理人が居たから聞いたんだ。犬買ってる人が居るけどってね、するとそうなんですよ、って言うんだ。管理人によるとどうやら、マンションも老朽化して人気が無いから、オーナーが苦肉の策でペット可物件として募集をしてる、ってね」

事前に周知することもなく、勝手にそんなことがあるのかと聞くフミオさんに

「私に言われてもわからんからオーナーさんに伝えるよ。そこにメモがあるから部屋名と名前を書いておいて」

管理人室がカウンターにあるメモを指差した態度に、苛立ったフミオさんでしたがここで文句をいったところで管理人が対処できないのは確かだと納得し、そのまま立ち去りました。

フミオさんに比べ奥さんは文句を言うことがなかったのでしょうか?

「犬のことは俺も聞かなかったけど多分知ってたと思うよ。同じフロアに居るわけだし。女房とはその頃から少しは話すこともあったけどね。まあ、一つ屋根の下に居てずっと話さないのも逆に疲れるし、いろいろ面倒なこともあるからね」

それから二軒隣の犬とは、フミオさんの出勤時間と散歩から帰る時間が被るのか何度も出くわすようになります。

犬は柴犬で、目が合うとフミオさんをじっと見つめて動かなくなり、飼い主の女性を困らせていたそうです。

「人懐っこい犬でね、じっと俺を見てくるんだよ。思い出したんだそれで、昔飼ってた犬をね」

その柴犬とよく似た雑種を小学生の頃飼っていたフミオさん。

友達の家で産まれた子犬を、自分が世話をするからと両親に頼み込んで飼い始めたものの、しばらくすると散歩も面倒になり、世話を全くしなくなったそうです。

「俺は散歩に連れてかないし、両親も働いてたから朝は放し飼いにしてたんだ。当時はまだそんなのが許されててね。ちゃんと朝ごはん食べに戻ってくるんだけど、ある日なかなか帰らないから母親が見に行くと家の目の前で車に轢かれてね。死んじゃってたんだ」

母親が抱えてきた亡骸を見て号泣し、お母さんが放しちゃうから死んだんだ、と母親を責めた小学生のフミオさん。

すると見かねた父親から、

母さんのせいじゃないだろう。お前がちゃんと世話をするって約束して飼ったんだぞ。お前が飽きずにちゃんと世話してればこんなことにならなかったんだ、可哀想に。

と涙が引いてしまう程怒鳴られたフミオさん。

「父親からずいぶん怒られてね。お前は生き物を飼う資格はないってね。子供だったけど確かにひどい飼い主だった。その柴犬を見てるとね、飼ってたその犬を思い出すんだ。何でだろう飼った期間も短かったのにね」

そしてある日、帰宅途中の電車の窓から大きな犬の看板を見かけます。

「ペットショップの看板だった。見つけた次の日、その店がある駅で途中下車してね。どうしても近くで犬を見てみたくなったんだ」

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この記事を書いた人

〖プロフィール〗

〖妻と愛犬と暮らす50代サラリーマン〗

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