愛する家族との別れ…残された愛犬と共に生きる決断をしたアラフィフ女性①

地方都市の、ある繁華街の一角にある熟女パブ『桜花』。

落ち着いた大人の雰囲気の店内は、人生経験豊富な大人の女性スタッフに癒されたいと願う人達で賑わいます。

ママと二人で店を切り盛りする裕子さん54歳。

童顔で可愛らしい裕子さんの笑顔は、特徴のある目尻のしわがチャーミングで、優しい性格と人柄の良さを表しているようです。

そんな彼女を見ていると、裕福な家庭で大事に育てられたお嬢さんだったのかなと、勝手に想像してしまいますが、実はこれまで様々な苦難があったそうです。

今回はそんな彼女のお話しを、桜花のカウンター越しに伺ってみようと思います。

放任主義の両親の元、何不自由なく育つ。両親と二人の兄、五人家族だった裕子さん。

「末っ子で初めての女の子だから、ずいぶん可愛がられたんでしょう、ってよく言われましたけど全然そんなことなかったんですよ。放任主義って感じでしたから両親は。あんまりベタベタしない家族でした。小さい頃から自分のことは自分でよく考えて決めなさいっていう教育方針で、それで間違っても困ってもそれが勉強になるから、みたいな」

そして地元の高校から短大に進学し、卒業後は地元から離れた会社に就職。
その五年後に最初の夫と結婚することに。

「短大を卒業して、就職、それから結婚、順調な人生だって自分でも思ってました。多分この先もずっと普通に幸せに暮らせるだろうって、そう思って疑ってなかったですね」

一人っ子だった夫の実家へと嫁ぎ、義母と同居することとになった裕子さん。
義父は数年前にまだ60代で亡くなったそうです。

義母と同居。

今ではなかなか受け入れてくれる女性も少ないですが、嫌だとは思わなかったのでしょうか。

「付き合っていた頃から、頻繁に夫の実家に通ってたんです。夫も同居を受け入れてくれる相手を探していたんでしょうね。デートして最後に実家で夕飯を食べる、みたいなパターンがあったんですけど、義母と三人で夕飯を食べるのは楽しかったですよ。いい人なんです、義母は。ぽっちゃりしてて穏やかで。自分の母親と真逆で何て言うかベタベタするタイプなんです。私は放任主義で育てられましたけど、本来は甘えん坊でベタベタしたいタイプなんで、義母と居るのが心地好くて、結婚して同居したいって私は思ってましたから。夫が私と義母を見て距離感ゼロだ、って嬉しそうによく笑ってました」

そして結婚。同居をスタートさせます。
夫の実家は昔ながらの田舎の一軒家。山を背にして建ち、山裾に位置した敷地は二百坪を超えていました。

義母はいつも休まず動いていたそうです。山からひっきりなしに降る落ち葉の片付け、雑草取りなど広い敷地内の手入れと維持には手間と時間が掛かりました。そのうえ敷地内で畑を耕し野菜も沢山育てていました。

「結婚後も仕事を続けていたので家事のほとんどを義母がやってくれて、すごく良くしてもらってました。だから私も家に居るときは家事や畑でなるべく義母と一緒に作業するようにしてたんです。子供が出来たら退職する予定だったので、妊娠したらこうやって義母と一緒に家のことをやるのもいいな、なんてその頃はのんびり考えていました」

しかしそれから一年、二年と過ぎても妊娠せず、裕子さんは基礎体温の管理や生活習慣の見直しなど気を付けながら自然に授かるのを待っていました。

それでも妊娠することはなく、夫と話し合い、意を決して一緒に病院に行くことに決めました。

結婚してから五年が過ぎた頃でした。

「病院で診てもらった貰った結果、夫に原因があると判りました。自然に妊娠する可能性はゼロで、不妊治療を進めても確率が低いだろう、って。そう医者に言われた時の絶望感は今でも忘れられません。もうこれ以上説明も聞きたくないって思いました」

医者の説明を聞いても諦めきれず、どうすればいいか夫と一緒に何度も話し合い、考えたそうです。
しかし考えれば考えるほど妊娠する現実味が遠ざかっていくように思えました。

結論を出せないまま、それからしばらく、裕子さんも夫も、義母にとっても辛い日々が続きました。

「責任を感じた夫はだんだん喋らなくなってきて、正直離婚も…考えるようになりました。私も三十歳になっていたし、年を重ねて妊娠しにくくなるので早く決断しないと、って思ってました。そんな私達の様子を見て何か感じていたのか義母はいつもよりよく喋り、よく笑い、努めて明るくしようとしていたんです。義母の姿を見て心苦しかったのですが、自分の子供を持つことを諦めきれませんでした」

デリケートな問題であったため相談する相手も限られていました。

「子供のいる友達のアドバイスを聞く気にはなれませんでした。それで久しぶりに母親に連絡してみたんです」

裕子さんの両親は長男夫婦と同じ敷地内で別々に家を建て住んでいました。
二人とも体力的にまだまだ元気で、仕事に遊びにと家に居ることが珍しいくらいの両親だったそうです。

「平日の夜に携帯に掛けると、珍しくすぐに母親が出ました。一通りの挨拶や近況の報告を済ませると今までの経緯を話しました」

裕子さん話を一通り聞いたお母さんは、

「難しい問題だね。後悔しない答えを出すのは無理だと思うよ。どう選択したって後悔するだろうから。どうしていいか自分でもわからないなら、期間を決めてしばらく考えないようにしてみたら?距離をおいて一度冷静になった方がいいかもね」

そう母親に言われると、納得できる部分もあった裕子さん。
それからしばらくの間、妊娠のことばかり考えるのをやめて普通に過ごすことにしました。

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この記事を書いた人

〖プロフィール〗

〖妻と愛犬と暮らす50代サラリーマン〗

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