愛する家族との別れ…残された愛犬と共に生きる決断をしたアラフィフ女性②

「考えすぎて疲れてたのもあって、少しの間、普通に過ごそうと努めました。私の様子を見て夫も徐々に元気になってきました。義母も口にはしませんけど嬉しそうで、三人でワイワイと過ごす時間も増えてきました」

裕子さんに合わせるように、夫からも妊娠の話を持ち掛けられることはなくなりました。

それから数日後の土曜日、夫は残務があるからと出勤し、裕子さんは義母に付いて朝から雑草を取り、畑仕事をしていたそうです。

「午後には家に入って、畑で採れたかぼちゃでシフォンケーキを焼きました。焼きあがると義母がいれた紅茶を飲みながら並んで座っておしゃべりをしながら食べたんです。義母のシフォンケーキってすごく美味しいんです。ふんわりした触感の中に自然なかぼちゃの甘味が溶け込んで、午前の作業で疲れた身体に染みこんでいくようで。すると義母があらたまった感じで私を見て、裕ちゃんって言うんです。いつも友達みたいに話すのに急に何かなと思って」

ずっと心に秘めていた言葉を口に出すのか、ゆっくりと丁寧に義母は話しました。

息子から自分が原因で子供を作ることが出来ないと聞いた。
『自分も裕子も辛い、でも裕子はまだ諦めることはないし、二人で辛い思いをすることはない。だから離婚しようと思ってる』
息子からそう聞いたけど、私もそう思うよ。

そう言うと微笑みながら

裕ちゃんが来てから毎日楽しかった。
良いお嫁さんが、良い娘ができて幸せだった。
裕ちゃんはこれから、自分が幸せになれるようにもう一度頑張って。
それでいい人見つかって子供が出来たら、顔見せに来て欲しい。嫁いだ娘だと思っているから。私の娘の子供だから。私も孫の顔が見たい。

「義母が話し終えた時には、私は目の前が良く見えませんでした。シフォンケーキも紅茶も、ぐちゃぐちゃにして泣いたんです。声も出ちゃって子供みたいにしゃくりあげて」

しばらくして気が付くと義母が掛けてくれた毛布が肩に乗っていたそうです。

泣き疲れて裕子さんは眠っていました。

するとその日の夜から裕子さんは高熱が出ました。
三日間熱が下がらず苦しんで夫も義母もずいぶん心配したそうです。

「眠ったり起きたりを繰り返しながらしばらく頭がまともに働かなかったんですが、三日経ったくらいからやっと食べられるようになって、体力が戻ってきたんです」

体調を崩したのは今まで悩んできたストレスが原因でしょうか。

「そうかも知れません。でもそれはみんな同じで義母も悩んだ末に私に話してくれましたから。夫も義母も辛かったと思います。夫が言うようにこれから違う選択をして、子供を持つ人生を歩んだとして…でも幸せになれるのかどうかなんて誰にもわからないし、子供が居なくても十分幸せな今の家族と、この暮らしを失っても後悔しないだろうかって、熱にうなされながらそんな思いが頭の中をぐるぐる回っていました。それから熱が下がって身体が元に戻ってくると、私はこのままでいいんじゃないかって思うようになっていました。いろいろ考えたけどこの家で、この家族と一緒に暮らすのが一番幸せなんだ、ってそう思えたんです」

裕子さんは夫と義母に自分の思いを話します。二人とも複雑な思いで聞いていたようですが、裕子さんの思いを徐々に受け入れ、やがて以前のような明るさが家庭に戻ってきたそうです。

「それから和気あいあいと、三人で楽しく暮らす日々が続きました。こんな温かい家族があるんだから私の選択はきっと間違っていなかったんだろう、って」

しかしそれから10年が過ぎた頃、思いがけない出来事が起こります。

「まったく想像できませんでした。義母が亡くなるなんて。畑で貧血で倒れて、病院で診てもらうとガンが見つかって。治療を始めてからみるみる痩せていく義母を見るのは本当に辛かった」

当時を思いだしたのか、言葉を詰まらせる裕子さん。

深呼吸をして話を続けます。

「亡くなる前の数か月はとても苦しそうでした。その頃にはもう入院してて医師からも『覚悟をしておいてください』って言われてました。普段弱音を吐いたことがない人でしたけど口を開くと私にごめんねって言うようになって。ふくよかで健康的だった義母が、痩せ細って辛そうな顔でずっと私にごめんねって。謝ることなんて何もないから身体のことだけ考えて頑張って、って言うと少し安心するのか眠ることもありました」

そして義母は、72歳で帰らぬ人となりました。

「前日に体調が良さそうだったんで、明日仕事が終わったらくるね、って手を振って別れたのが最後でした。朝になって看護師さんが様子を見に来ると、私と間違えたのか、また謝りはじめたので、看護師さんが気を利かせて私が言ってるようになだめてくれたそうです。すると安心したように目を閉じて、そのまま逝ってしまったって聞きました」

葬儀は夫と二人で済ませた裕子さん。

身内は皆遠くにいてほとんど付き合いもなかったそうです。

「優しくて明るくて温かい、大好きな義母でした。自分の母親より仲が良かったし、信頼していました。畑で倒れて入院して、だんだん痩せてきて亡くなって葬儀をして。私の気持ちはぜんぜん追いついていませんでした」

そして夫婦二人だけになった裕子さん。

その後どのような生活を送ってきたのでしょうか。

「明るく元気で細かい気遣いがあった義母が居なくなると、しんとした時間が増えました。夫とは仲良くやっていましたが、二人になると急に静かな日常になって。夫と私は義母にだいぶ甘えていました。家事も家のことも全て義母任せでしたから。これから二人で協力してやっていこうって、夫と話したんです」

今までは休みになると、家の雑用と畑仕事、料理を作ったりと家にいることが多かったのですが、夫は積極的に裕子さんを連れて出掛けるようになりました。

近くから遠くまで、いろんな観光地を回って地元の料理を食べたり、お土産を自分たちのために買ったりしたそうです。

「義母とまったり家のことをするのも好きだったんですが、夫に連れられて行くのも楽しかったですね。急に新婚夫婦に戻ったみたいで。照れくささもありましたけど夫の気遣いが本当に嬉しかったです」

二人になって家族の形は変わりましたが、少しずつ自分達のペースで、義母を亡くした悲しみを乗り越えていったそうです。

そして数年後、思いもよらず新しい家族を迎えることになります。

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この記事を書いた人

〖プロフィール〗

〖妻と愛犬と暮らす50代サラリーマン〗

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