「それから仕事を辞めました。長い間勤めたけど外での関わりも出来るだけリセットしたかったんで。しばらく散らかった家の片付けに専念して、夫や義母の衣類等は少し残して処分しました。片付け終えてあらためて見まわしてみると家の中がずいぶん広くなっていました」
家の中が終わると敷地内の落ち葉を片付け、雑草を抜いて、畑を耕した裕子さん。ナナは側を離れず嬉しそうに周りで遊んでいたそうです。
「始めてから一ヶ月が過ぎてようやく片付けが全部終わりました。義母と夫の居ない、ナナと新しい生活の始まりというか。でもそろそろ社会復帰しなければ、とも考えていました。ナナが居て今の自分の状況と合う仕事をとなると、なかなか良い案が浮かばず…長時間家を空けたくないのでパートがいいよね、とナナに相談していると、不思議そうに目を丸くさせて私を見る姿が可愛かったですね」
仕事を見つけられないまま数日が過ぎた頃、久しぶりに携帯が鳴ります。
着信を見ると独身の友人、佳子さんからでした。
「久しぶりに佳子から電話があって。どこかで私の状況を聞いて心配してくれたんだと思います。佳子は遠慮なく物を言うタイプで、裏表がなく信用できるんですけど、気が強いせいか結婚は一度もしなかったですね」
近況を語り合い、仕事の話になると佳子さんから思いがけない提案をされます。
「裕子の希望を聞いてると、夜の仕事が良いかもねって言うんです。何言ってんの、って最初は笑ったんですけど、勤務時間は夕方から深夜までだし、時給も普通のパートの倍はあるし、ちょうど実姉がパブをやってて募集してるよ、って」
勧誘が目的で電話した訳じゃないからね、とイタズラっぽく笑う佳子さんでしたが、考えてみると誰に気を使うわけでもないし、ここで少し予想外な人生の選択もアリなのかも知れない、と裕子さんも思い始めていました。
そして一番良い点はナナが寝てる時間に仕事ができることでした。
「でも私に接客ができるかなって。そんな簡単じゃないだろうって躊躇してたら佳子が一緒に様子見で飲みにいこうって」
そして訪れたのがこの『桜花』。
派手な装飾の代わりに柔らかな光の間接照明で照らされ、レトロな小物がさりげなく配置されている店内は落ち着いた雰囲気でどこか懐かしさも感じました。
「居心地が良くて桂子のお姉さんのママと、佳子と三人でずっと話し込んでしまって。スタッフはチーママと二人だけで、そのチーママは体調が良くないから近々引退するとのことでした。一人で切り盛りするのは難しいから良かったら一緒に働いてみてくれないかって」
店の雰囲気そのままに、落ち着いた雰囲気の明るく優しいママは、どこか義母に似た温かさを感じました。
接客は未経験だし、とママにいうと
「大丈夫。大事なのは人柄だから」
ママにそう言われると不思議とそう思えてきました。。
「もうほんと直感でしたね。不安はたくさんありましたけど、何とかなるんだろうなって」
そう言って微笑む裕子さんの人柄に癒され、一時の夢を見に人々は訪れるのだろうと納得しました。
「いつも帰ると一時頃になるんですけど、寝て起きてナナと散歩に行って。一緒にご飯を食べて昼寝して、起きて支度して出勤しての毎日ですけどナナにも私にもすごくいいペースなんです」
全てのお話しを聞き終わった頃、時間は日付が変わろうとしていました。もうすぐ『桜花』は今日の営業を終えます。
店内にはまだ『桜花』を象徴するような常連の年配のお客が、奥のボックス席で静かにママと談笑していました。
「ここは熟女パブだからお客さんも年配の方が多いのね。そんなお客さんが人生の最後に一時の夢を見られるような場所にしたいの」
ママがいつか裕子さんに語った言葉だそうです。
そんな『桜花』にお邪魔して、とてもリラックスしながら今回はお話しを伺うことができました。
思いがけず悲しい別れを経験し、それでも生きていくことを選んだ裕子さん。
彼女と愛犬の幸せな生活がずっと続くように願いながら『桜花』を後にしました。
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